2014年8月28日木曜日

おばこはキャビンアテンダント

まごころ列車
 羽後本荘10時47分発の矢島行は、おばこアテンダントが案内してくれる 「まごころ列車」だった。一日14本(上下28本)運転されている鳥海山ろく線の中で、たった1本だけ往復している列車に巡り会えたのは、偶然としか言いようがない。世の中悪いことばかりじゃない! 
2000形 まごころ列車
羽後本荘にて
 由利高原鉄道<ゆりてつ>は国鉄旧矢島線を譲り受けた第3セクターの鉄道会社だ。従業員は30名。どうしてそのようなことがわかるかと言えば、アテンダントの佐々木さんがくれたチラシに全員の名前と顔写真、役職が記されていたからだ。個人情報がうるさい昨今、顔の見える会社経営には頭が下がる。それほどに皆さん、一所懸命だし親切なのである。
子吉・鮎川間の田園風景
 羽後本荘を出て羽越線と分かれるとすぐに田園地帯を走る。冬には地吹雪が襲うため、線路脇には風雪よけのフェンスが続くが、嬉しいことにシーズン以外は折り畳んであり、鳥海山を眺められるようになっている。今日はあいにく雲が厚く垂れ込めて、鳥海山は裾野さえ姿を見せていない。おばこ姿のアテンダントはこのような日のために用意した写真を見せながら説明をしてくれる。田圃の稲はだいぶ黄色く色づいているが、穂が大きく垂れる程ではないから収穫まではまだ間がありそうだ。
子吉川に沿って走る
 まごころ列車は丘陵地帯を登っていく。ただ<ゆりてつ>は登山鉄道でも山岳鉄道でもない。高原鉄道と名乗ってはいるものの、最も高い所でも標高100mに満たない。雪深い北国であること、鳥海山の山麓であることによるイメージとして命名されたのだろう。全線23㎞の、子吉川の緩やかな流れに沿って走るローカル線である。
旧鮎川小学校
 この地方にも過疎化の波は押し寄せ、廃校となった旧鮎川小学校の脇を通過する。地元の人たちの協力によって秋田杉を活用した木造校舎が綺麗に維持管理されているのだという。おばこアテンダントの解説がなければ、見落としてしまうような風景だ。注意してみると、ぬくもりのある校舎がひっそりと建っている。味気ない都会の小学校校舎で学ぶ子供達と比べて、田舎の子供達は恵まれているなと思うが、今では子供自体がいない。何とももったいない。地方はいつ復活するのだろう。

タブレット交換


先に到着した羽後本荘行から
タブレットを受け取る駅員 
(黄色いレインコート着用) 
列車は3000形
 
 過疎化ばかりでなく、モータリゼーションの普及によって地元民の鉄道利用が大幅に減っているのは、ここ由利高原鉄道も例外ではない。そのため<ゆりてつ>では毎月様々なイベント列車を走らせて乗客の獲得に努めているのだそうだ。たとえば2月には酒蔵開放無料列車、4月は雪室解禁生酒列車、8月には納涼ビール列車が運行される。秋田は酒好きが多いのだろうなあ、ぜひ乗ってみたいと思う。鉄道はお酒と相性がよいのだ。車ならこうはいかない。ただ、秋田の酒豪に囲まれたら大変なことになるのでやめておいた方が無難だと思い直す。
 <ゆりてつ>は、決して呑兵衛ばかり相手にしているわけではなく、季節の風物詩を載せた七夕列車やハロウィン列車もあるし、沿線B級グルメ列車なるものもあって、アイディアの限りを尽くしている。イベント列車ばかりでなく、鉄道好きに対してもいろいろな配慮がある。おばこアテンダントによる鉄道グッズ販売はもちろん、駅で販売する硬券など、ファンの喜びそうな工夫がある。
タブレットを肩に  
掛け、矢島行ホームへ
(帰路撮影)
 しかしそれ以上に興味深く嬉しかったのは、ここではいまだにタブレット交換が行われ、しかも駅員や運転士がそれを乗客にじっくりと見せてくれることである。カメラを向けられると嫌がる鉄道員が多い中、<ゆりてつ>はそんなファンの姿を楽しんでいるとすら思える。
 タブレット交換を見ることが出来るのは、ほぼ中間に位置する前郷駅だ。鳥海山ろく線で列車交換施設があるのはここだけである。羽後本荘や矢島も含めて、前郷以外はすべて片側1線のホームのため、2列車が同時にホームにつけるのはこの駅だけだ。だから全線で同時に運行できるのは2列車で、ケーブルカーのように途中で交換すると考えればよい。
 
矢島行に渡される 
大きめのタブレット
車両基地は矢島駅にあるので、営業時間外はすべての車両が矢島駅に戻ってくるようなダイヤになっている。従って、矢島・前郷間に1列車、前郷・羽後本荘間に1列車だけ入れるようにし、前郷ですれ違うようにすれば衝突は避けられる。そこで、それぞれの区間に入る許可証として二つの通行手形があるのだ。矢島・前郷間のタブレットは肩から掛けられる大きめのものを、前郷・羽後本荘間は手で握る感じの小さめのタブレットが使われていた。これなら間違うこともない。
とても原始的な方法だが、電子機器などの特別な施設がいらない絶対確実な方法で安全が保たれている。
羽後本荘行が受け取る
小さめのタブレット 
 ところで、<ゆりてつ>では通票閉塞器は使われているのだろうか。赤い箱のタブレット発行機である。この点は確かめる時間がなかった。
 先に触れたように、ここの鉄道員の方々は、このタブレット交換を鳥海山ろく線の魅力の一つだということをよく自覚していて、一連の作業を興味深い見せ物としても乗客たちに紹介していた。これも観光路線として集客しようとする企業努力の一つだ。帰りのことになるが、羽後本荘行の運転士が受け取るタブレットをカメラに収めようとすると、にこっと微笑みながら「はい、撮って!」とばかりに受け取ったタブレットを見せてくれた。そのサービス精神旺盛な姿には感服した。この会社は一丸となって観光客を歓迎してくれている。

終点矢島駅て・・秋田完乗!


秋田杉の美林
 おばこアテンダントがワゴンを押して<ゆりてつ>グッズを販売に来た。出来るだけ協力したいが、駅名のキーホルダーや携帯ストラップには興味がない。ちょうど手頃なものに、絵葉書があった。「旅情画集 鳥海山麓線おばこ号物語」と題した絵葉書集は、四季折々の自然の中を1500形の走る様子が描かれていた。良い記念になるし、このハガキで便りを書こう、大学時代の友人の郷里がここ矢島なので、久し振りに便りを出そうと思う。
矢島駅にて
 羽後本荘を出てちょうど40分、まごころ列車は終点矢島駅に到着した。おばこアテンダントがドア前で見送ってくれる。せっかくだからと記念撮影をお願いすると快く笑顔で引き受けてくれた。おもてなしの心を忘れない鉄道だ。
 改札を出ると、今度は売店でお茶のもてなしを受けた。品の良い白髪の女性が、いろいろ世話を焼いてくれる。その奥がおそらく本社なのだろう。「地元の人が好むようなお酒はありますか」と尋ねると、「ここには置いてないんですよ。駅前の広場を突っ切ると蔵元があって、そこで販売しています。美味しいお酒ですから」と教えてくれる。友人はまさに酒豪で、彼が好んで呑んだようなガツン系の日本酒を試してみたかった。
矢島駅全景
 駅から一番近い天寿酒造はすぐに見つかった。残念ながら地元の人が好むタイプは一升瓶しかなく、さすがにそれは断念して、持ち帰りやすい小瓶の吟醸酒を購入して駅に戻った。酒蔵は他にもあるが、次の列車の時刻が迫っている。
1500形
 旧矢島駅は3年ほど前に解体され、現在はお洒落な駅舎に生まれ変わっている。駅前は広々としていて、ちいさな町ながらも整っている。地方が衰退していく中で、おそらくここも苦労が絶えないに違いない。経済効率優先の中にあって、東京への一極集中に拍車がかかっているが、いつまでもこの国がこんなことで良いわけはない。秋田県は子ども人口の減少が最も激しいところだが、レベルの高い教育で見直されている県でもある。この町にも頑張ってもらいたいなとつくづく思う。
 駅の片隅に最古参の1500系が停まっていた。絵葉書の中の<ゆりてつ>を代表する列車である。更に帰りの列車は赤い2000形だった。在籍するすべての種類の車両に出会うことができた。これで思い残すことはない。
 秋田県を走る鉄道にはこれですべて乗り尽くすことができたが、鳥海山が綺麗な時期にもう一度訪れたいものだ。それがいつになるかはわからないけれど、由利高原鉄道鳥海山ろく線は、また忘れられない鉄道のひとつになった。
(2014/8/28乗車)

注)観光客を呼び寄せるための企画列車「まごころ列車」に乗るには、秋田9:42発の普通列車か酒田9:40発の普通列車に乗らなくてはならず、観光客が利用しそうな特急いなほには接続していない。東京からは新幹線こまちに乗っても間に合わない。たまたま青森を早朝に発ち、普通電車を乗り継いで来たら、ちょうど良い時間になったのである。観光客誘致のためなら、運行時間の見直しが必要だろう。


 

2014年8月26日火曜日

北海道乗り尽くしの旅・・序章

新幹線開業の前に

 このところ北海道の鉄道は暗いニュースばかりが続いている。車両火災、貨物列車の脱線と保線の手抜き、保線データの改竄、運転手による車両破壊、度重なる発煙トラブル・・・ひとつの鉄道会社が立て続けに社会信用を失墜させるような事態を生むというのは、国鉄末期の組合闘争以来のことだ。この会社で働く人たちの中に、どこかで道を誤ってしまった人がいるのではないだろうか。
 北海道に心を寄せ、鉄道による旅をこよなく愛する自分にとって、近年のJR北海道の動向はとても見過ごせないことだった。来年度末には新幹線が函館北斗まで開通し、本来なら青函トンネル開通以来の慶事であるはずなのに、果たして安全は確保できるのかといった新幹線の脱線を臭わすような物騒な報道までが飛び出すまでになっている。悲しいことである。
 こんな時だからこそ、応援もしたい。旅立つ自分を周囲の者は「脱線しない?大丈夫?」と気遣うが、大雨でも降った際には怖いなあと正直思わないでもない。ただ旅の後半は天候も回復という予想だから何とかなるだろう。それよりも新幹線が開通したら、おそらく津軽海峡線も無事ではあるまい。函館湾をめぐりながら北海道に渡るという、あの素晴らしい景色とワクワク感は二度と味わえなくなるのだという焦りが、旅心に火を灯したのだった。今一度函館湾や噴火湾を右手に見ながら、北海道乗り尽くし旅に出掛けよう。

準備
たかが指定券
されど指定券

 東京から東室蘭までの座席指定をネット上で行うためには、JR東日本とJR北海道それぞれのWebで行う必要がある。するとJR東日本のWebで購入可能な新青森・函館間は新幹線乗り継ぎ割引が適用され特急券が半額になるが、JR北海道Webで購入する函館・東室蘭間には割引が適用されず割高になる。それを避けるためには駅の緑の窓口で購入する方法もあるが、いちいち進行右窓側を指定すると、駅係員は汗をかきかき時刻表と格闘するはめにおちいる。特に本州から北海道に渡る際には、列車は一度スイッチバックして進行方向が変わるのだから、駅係員の頭の中は混乱するし、それに気付いて貰えない場合は、海の景色が見えなくなる。気の小さい自分は、駅員に申し訳ないと思うし、ましてや後ろで並ぶ人の冷たい視線にも耐え難い。それなら誰にも迷惑をかけないWeb購入が一番だし、JR北海道には正規料金で乗車するので、多少なりとも応援になる。ということで、面倒な函館までは自己責任で座席指定をし、函館・東室蘭だけは窓口で購入することにした。趣味を貫くには、手間とお金がかかるものだ。

函館へ

 というわけで、朝6時32分一番の東北新幹線はやぶさ1号で東京を発ち、10時17分には函館行きスーパー白鳥に乗り継いで、11時36分青函トンネルを抜けて北海道の大地の上に出た。
 青函トンネルは新幹線と在来線の共用区間のため、木古内駅の手前で新幹線から在来線が分かれていく。その後すぐに廃線となった江差線の錆びた線路が合流する。江差線の踏切には線路を塞ぐように立ち入り禁止のフェンスが張られていて、痛々しい。人も列車も立ち入り禁止なのである。
 新幹線停車駅の木古内駅前は、ツルハドラッグの看板が一番目立っている。ここに新幹線が停まるのかと俄に信じられないほど、あたりには人家がまばらでだ。それでも奥津軽いまべつ駅よりも遙かに人口は多いと思われる。江差や松前の人たちが車でやって来て旅立つ駅なのだろう。
 安定した共用区間の軌道と違って、ここからは在来線的な揺れとなる。今日の函館湾は霧に煙っている。細かい雨が降っている。新幹線は風雪よけのフェンスが高く張り巡らされているので、車高の低い新幹線からはたぶん車窓風景は楽しめないのではと思われる。やはり景色は在来線が一番だ。並行する松前国道の道路標示には函館まで33キロ、30分とある。この辺りの海峡線(正式には江差線。江差には行けない江差線である)は単線のため、泉沢駅で旧国鉄時代からの古い車両を使った485系白鳥と交換する。リニューアルされたとはいえ古参の列車だ。
 今日は津軽半島が微かにしか見えないが、それでも下北半島もなんとか確認できる。その間が陸奥湾で、雲に覆われたもっとも奥に青森の町がある。モノトーンの世界に広がる津軽海峡は波も穏やかで、トンビが優雅に風に乗っている。函館山が見えてくるが、あいにく山頂は雲の中だ。列車は等高線に沿って、方向を変えながら函館を目指す。 渡島当別駅を通過する。ここは男爵いもとトラピスト修道院で有名な所だ。
函館市電
 この辺りからは車窓真横に海を挟んで函館山が見えてくる。これから函館湾に沿って、180度進路を変えながら函館を目指すのだ。かつての北海道の玄関、函館へのこの最終アプローチがたまらなく好きだ。到着まであと10分、コンビナートのある上磯からは町の風景に変わる。全国チェーンのパチンコ屋を過ぎ、進路を右に右にと変えれば函館は近い。


室蘭へ

 北海道新幹線は函館には停まらない。15㎞弱離れた渡島大野を新函館北斗駅として開業することになっていて、現在駅舎の建設と五稜郭・渡島大野間の電化工事が行われている。開業時には札幌行スーパー北斗が新函館北斗に停車し、函館方面へは電車が運行されるようになるのだそうだ。とすると、ここでも在来線の車窓が大きく変わることになりそうだ。
 というのも新幹線開通後は札幌方面へのコースが一部変わるからだ。現在函館を出発した列車は市街地を抜けると松並木が続く大沼国道と併走しながら七飯(難読駅:ななえ)に着く。ここから下りの優等列車はすべて渡島大野がある本線と分かれて、大沼公園までの標高差を緩和するために造られた通称藤代線を通るのだが、上り線を跨いで右に大きくカーブを切りように造られた高架線からの風景は、北海道に来たなあということを実感させてくれるスケールの大きな風景なのである。上りは上りで、大沼から高度を下げてくる仁山・渡島大野間の風景もなかなかの見ものなのだが、それぞれ味わいが異なる。新幹線開業後は下りの貨物以外は藤代線を使うことはなくなってしまうのだろう。少し残念な気がする。
 高度を上げてトンネルをいくつか抜けると、左側に小沼の岸が迫ってくる。いつもなら小沼越しに駒ヶ岳の優美な姿が見えてくるのだが、あいにくの小雨模様で全く対岸すらも霧に煙っている。北海道有数の車窓風景が今日はお預け、少々退屈になってきた。またちょうど交感神経と副交感神経が切り替わる居眠りタイムとなったばかりでなく、昼食で訪れた手打ち蕎麦屋で呑んだ日本酒が利いてきたのか、うつらうつらと恍惚状態になってきた。ふと目が覚めたときは、森駅に進入する時で、目の前には噴火湾が広がっていた。
 雲は厚いが、何とか対岸は見える。八雲まではほぼ対岸の室蘭方面と並行して走るので、これから目指す室蘭は次第に後方に退いていく感じ、八雲から長万部へは方向を90度変えて室蘭を目指すので、この辺りは円弧を描くというよりは、正方形の三辺を走る感じだ。天気さえ良ければ有珠山や昭和新山のような火山が見えるはずなのだが、残念である。ただ、函館本線は当分健在だから、また次のチャンスがあるだろうと慰める。
 かに飯の看板が見えれば長万部は近い。函館本線が左に分かれていき、室蘭本線に入る。荒涼とした風景が続くが、次第に山が海岸に迫ってくる。静狩からは線路を敷けるような土地はなく、トンネルが連続する。近年、秘境駅として有名になった小幌駅は、トンネルとトンネルの間にホームを設えたような無人駅だ。あたりに集落は全くなく、熊笹に覆われた獣道を少し歩くと崖と崖に囲まれた入り江があるという。酔狂な釣り人くらいしか降り立つことのない小幌駅を、北斗9号はあっという間に通過した。列車は猛スピードで驀進している。揺れも少なくない。大丈夫かなという思いが一瞬よぎる。保線の不安は鉄道の安全神話を根底から揺さぶっている。
 室蘭は大規模な工業地帯だ。複雑に入り組むパイプと巨大なタンク、建物から漏れ出すような白い煙等々がコンビナート特有の雰囲気を作り出している。湾を結ぶ釣り橋が室蘭の玄関口で出迎えてくれる。
(2014/8/25乗車)

北海道乗り尽くしの旅①

室蘭本線(東室蘭→室蘭7.0㎞)・・残りあと5路線


洒落た駅舎の室蘭駅
地球岬にちなんだモニュメント
 室蘭本線の起点は長万部、終点は岩見沢、残念ながら 全線を走破する列車はない。一方で本線の途中駅東室蘭から室蘭までは支線的な扱いだが、札幌を中心に列車の運行形態が整備されている現在では、同区間は早くから電化されていて、L特急が結ぶ重要区間となっている。ただ函館方面から直通する列車はないため、本州方面からの観光客はちょっと行きにくい場所となっている。そのようなわけで、何度も北海道を旅していながら、この区間が未乗車となっていた。地球岬にも行ってみたいし。
 室蘭本線の歴史は古く、明治25年北海道炭礦鉄道によって岩見沢・室蘭(現東室蘭)間が開業された時に遡る。豊富な北海道の石炭を本州各地に積み出す港として室蘭は栄えた。明治42年には室蘭製鉄所も創業して、今日の工業都市の基礎が築き上げられた。東室蘭と長万部の間には山が海まで迫り出す難所があるため、室蘭本線が長万部と結ばれるのは昭和6年になってからだ。全線開通してからは、函館・札幌間の連絡が山越えのある函館本線から平坦な室蘭本線に移っていった。戦前は国策として樺太経営が重視されていたこともあって、函館・稚内間を札幌を経由せずに長万部から岩見沢に抜ける急行列車注1も設定されていたようだ。まさに室蘭本線の面目躍如たる列車だけに、乗ってみたかったものである。
 さて、北海道のすべての鉄道を乗り尽くす今回の旅であるが、まずこの東室蘭から始めようと思う。早朝に東京を発ち、新幹線と2本の特急を乗り継いで東室蘭のホームにたったのは、午後4時11分、函館発の特急北斗9号から降りる乗客はそれほど多くはなかった。途中1時間半ほど、函館で昼食のために下車したとはいえ、ほぼ一日中列車に揺られていたことになる。鉄道好きの自分には随分と近くなったなという印象だ。新幹線もなく、青函トンネルもない時代だったら、今頃ようやく青森に着いた頃だろう。東室蘭に着くのは明日未明・・ふうぅ。
 雨模様の肌寒い中、跨線橋を渡り室蘭行の普通列車が待つホームへと向かう。待っていたのはキハ40の二両編成だった。電化されてはいても、この区間の普通列車はほとんどが気動車で、札幌行特急は電車が使われている。古い車両を使いまわすJR北海道の倹約ぶりが窺える。
支線内をキハ40が往復している
 16:23発室蘭行は学校帰りの高校生の「専用列車」だった。東室蘭を出発するとしばらく直進し、本線の方が右手に分かれていく。本線と支線に挟まれた土地に製鉄工場がある。巨大なプラントは、その桁外れの大きさで見るものを圧倒する。進行左手は住宅地で、決して新しくはない14階建ての巨大アパートが、昔の賑わいぶり注2を彷彿とさせる。今は使われていないJR貨物駅や伸び放題の雑草を横目で見ながら、すぐに最初の停車駅輪西(わにし)駅に到着する。数名の高校生が下車するが、駅の柱は錆びだらけで、長い間手入れをしないままの駅舎に、この地域の経済状況が透けて見えてくる。工業地帯だけあって沿線には大型重機の基地があったり、さまざまなタンク・プラント・工場建物が途切れることなく続いている。日常離れしたこのシュールな光景は京浜工業地帯を走る鶴見線の風景に似ている。国道を挟んだ山側には住宅地が広がっている。辺り一面はかつて海だったところで、埋め立て地に新日鐵住友金属の大工場が造られた。狭い土地に鉄道と 国道、さらにバイパスが走っている。御崎(みさき)駅でも数人の高校生が下車し、その次の母恋(ぼこい)駅ではほとんどの高校生が降りてしまった。ここから見える山の向こうおよそ3キロの所に地球岬注3がある。
 わずか5〜6名の乗客を乗せたキハ40は、短いトンネルを抜けてすぐに終点室蘭に到着した。電化されているとはいえ、趣は鉄鋼の町のローカル線だった。
(2014/8/25乗車)


 注1)函館・稚内を結ぶ有名な列車といえば、1961年(昭和36年)運行が始まった急行宗谷だろう。1972年、函館・倶知安間に乗車したことがある。急行型気動車キハ56に乗って3時間の旅だった。森駅で駅弁の立ち売りがあり、いかめしが飛ぶように売れていた。函館11:50発、函館本線経由、札幌16:25着、終点稚内には22:42着。当時の多くの列車は函館を中心に各都市に向けて運行されていた。
 注2)これだけの大工場があるのだから働く人も多いのではないかと、タクシーの運転手さんに尋ねると、工場は無人化が進み、今では人がいらなくなったので、工業都市は寂れる一方だという。北海道で賑やかなの札幌だけだそうだ。
 注3)室蘭は山一つ隔てて工業地帯と自然が並ぶ不思議な都市である。地球岬やそれに続く断崖は絶景で有名だが、後ろを振り返ると工場地帯と住宅街がすぐ近くまで迫っている。近年はそれを逆手にとって観光PRがなされている。室蘭名物で忘れてはならないのが、「焼き鳥」。東室蘭の中島地区には、有名な焼き鳥屋がある。民芸調のクラシカルな店にはジャズが流れ、予約なしでは入れないほどの人気だ。地方都市は道を歩く人があまりいないのに、どこから人が集まるのだろうという活気ある店が必ずある。それを見つけるのも旅の面白さの一つだろう。

翌朝、苫小牧へ

 6時28分東室蘭発の苫小牧行に乗る。電化路線だが普通列車のため昨日と同じ気動車キハ40だ。ワンマン列車なのに3両もつながっている。乗客はまばらだ。それにしても思うのは、近頃は都会人の方が早起きだなあということ。通勤時間がかかるからあたりまえだけれど。今は人が少ないからいいものの、この先運転手一人で対応できるのかなあと心配になるが、所詮乗客のほとんどは目的地が同じだから下車駅が有人であれば何の問題もないのだろう。しかも乗客のほとんどは高校生、定期券利用者だから車内改札をする必要もないし、私のような一見さんのために無駄な人件費をかける必要もないのだろう。
 ということで、駅に停まるたびに高校生がたくさん乗ってきた。途中に3校くらいはありそうだ。時々高校生が入れ替わる。
 今日は山側に席をとる。本線だけに線路状態も良く、快適な走りだ。登別に近づくと、カルデラ状の山のお釜の中だけに雲がたまっている。幻想的な朝の風景である。駅舎は有名観光地にふさわしい重厚な作りで、駅近くには遊園地があって古風な観覧車が行楽地を演出している。その先はやはり北海道、放牧地が続く。昨日と打って変わって青空が広がり、北海道らしい牧歌的な風景が広がってくる。そこに突然、巨大な製紙工場が出現する。駅名は北吉原だ。そういえば、静岡県の田子の浦には製紙工場が集まっているが、駅名は吉原だった。とすれば、これって北海道の吉原の意ではないか。真偽のほどはあきらかではないものの、ひとりそう思って大発見をしたような気になる。興が覚めるのでネットで確認するのはやめておく。
吹き出しそうな樽前山の形
 白老あたりからは樽前山が独特な美しい姿を現す。今にも噴火しそうな火山の形だなと思う。アイヌコタンがあるこの辺りは、日本の鉄道の中で最も直線距離の長いところとして有名だが、実際はポイントや駅付近には当然曲線区間がある。これはあくまでも地図上の話で、それは中央線の中野・立川間と同じである。
 列車が苫小牧に着く。下車すると、好天の空のもと爽やかすぎる寒さだ。よく見れば半袖は自分だけ。高校生もサラリーマンもみんな長袖姿であった。上着着用も少なくない。今年の北海道は秋が早いようだ。

日高本線(苫小牧→様似146.5㎞)・・残りあと4路線

工業地帯の中にある苫小牧駅
刷毛で掃いたような雲が秋の
訪れを感じさせる。    
 さあ、いよいよ日高本線に乗るときが来た。朝の8時少し前、苫小牧駅には高校生たちを乗せた通勤通学列車が、室蘭・岩見沢・静内・札幌から集結してくる。キハ40に乗った生徒達は、ここで下車する人もいるが多くはまた乗り換えて近隣の学校へと散っていく。跨線橋の上はホームを移動する高校生でごった返していた。1番ホームに降り立つと、そこには秋めいた青空の下に、静内からの3両連結キハ40が日高本線塗装で待ち構えていた。「優駿浪漫」と描かれたサラブレッド仕様の気動車である。無骨なJRにしては旅心をそそる心憎い演出だ。サラブレッドがデザインされたロゴにも力が入っている。車体側面の行き先表示には本来なら琺瑯引きのサボがはめ込まれているはずだが、心ないファンが取り去るからだろうか、黒いペンキで「日高本線」と描かれていた。すでに支線のない日高線だが、本線と描かれているのがいい。150㎞近くある堂々としたローカル線なのだから。
日高仕様 運転台下と側面中央(右)
 折り返しの様似行は、2両を切り離して1両のワンマンとなった。先程までの喧噪はどこへやら、車内は各ボックスに人が埋まっても、立ち客はいない。この列車は終点様似でJRバスに接続し、襟裳岬観光をした上で、バスを乗り継ぎその日のうちに帯広まで行ける唯一の列車なのだが、今時そのような利用者はいないのだろう。強い日差しは覚悟の上、海の景色が楽しめる進行右側に席を取る。
 8:00ちょうど、苫小牧をあとに様似に向けて出発する。電化された複線の室蘭本線と並んで3線仲良く7キロ近く直進する途中には苫小牧貨物駅があって、大量のコンテナを仕分けしている。ここからは本州各地(その多くは隅田川駅)に何本もの高速貨物列車が運行されていて、今も貨物輸送は鉄道を支えていると実感する。工場群が続き、上空には車輪を出して着陸態勢を整えた航空機が千歳空港に向かって飛行している。猛スピードで疾走しているにもかからわず、室蘭本線と分かれて最初の停車駅勇払に着くまで12分が経過していた。ここは工場通勤者のために作られた駅のようである。そこから先は緑の大地と青い太平洋とコンテナ埠頭が広がっている。
 高い煙突が見えてきた。北電の苫東厚真(とまとうあつま)発電所である。昨日は製鉄所が大きいと感じたが、発電所の巨大さは並大抵ではない。ここは石炭火力発電なのだろう、巨大なあずまやがあって、その下にはきらきら輝いた石炭がうずたかく積まれていた。それをすくうためのブルドーザーが、とんでもない大きさの重機なのだ。石炭の量も半端ではない。埠頭には外国からの石炭運搬船が係留されるのだろう。周囲は緑に囲まれ人が暮らす様子はまったくない。
鵡川駅にて
鵡川(むかわ)に着き、ビジネスマン風の人が降りていった。ここでは様似から来る上りの始発と交換の為、運転調整で7分停車する。のんびりとホームに出て、爽やかな風を受けながら伸びをする。気動車のアイドリングの音以外、物音ひとつないホームを歩くと、ローカル線の旅の良さがじわっと心に沁みてくる。ゆるやかな時間の流れと、このままずっと身を託しておきたくなるような光と風に包まれているからだ。贅沢な時間を過ごしていると思う。
茶色い太平洋
日高本線は海沿いに南下していくが、時々集落を求めて海から離れる。遠くに日高山脈が連なり、富川でまた人が降り、連日の雨で泥水となった沙流川を渡る。沖の海が青いのに海岸近くの海が濁っていたのはこのためだ。海は汚れているのではなく、川が運ぶ大地の栄養で豊かな海が保たれているのだろう。
日高昆布の天日干し
ところどころで日高昆布の天日干しが行われている。幅広の高級品はあるのだろうかと目を凝らすが、判別できるほどゆっくり走ってはくれない。苫小牧を出発してちょうど1時間が経過し、日高門別に着いた。辺り一面につがいとなったトンボの群れが乱舞している。短い夏が終わろうとしているのだ。
静内駅にて 苫小牧行(右)
静内は沿線随一の町だ。日高本線では苫小牧・様似を結ぶ列車は1日5本運転されているが、静内を境にして、苫小牧・静内間に3本、静内・様似間に2本の区間列車が設定されている。機関区もあるほどの拠点駅で、ここでまた列車交換があり、運転調整のため10数分停車する。先程から苫小牧行はどれもが2両編成で、単行なのはこの列車ばかり。つまり午前中は苫小牧への利用客が多いわけで、襟裳岬観光に鉄道がまったく使われていないことがわかる。「優駿浪漫」といっても利用者は地元民ばかりなのだろう。下車する客が多く各ボックスは原則1名で、空いたボックス席も現れた。
馬の放牧
 東静内からは海岸と別れ内陸を走る。馬の放牧地が広がるが、思いの外馬の数は少ない。この時期はどこかへいってるのだろうか。日高地方は全国のサラブレッドの8割を生産する世界第5位の馬産地なのだそうだ。沿線には至る所に放牧場があり、乗馬クラブもたくさんあって体験乗馬も可能なサラブレッド観光が盛んな土地だとパンフレットに記されている。浦河にはJRAの日高育成総合施設があり強い競走馬を調教する世界一流の施設なのだという。浦河駅は片側1線の小さな駅だが、町自体はこの辺りでは比較的大きく、民家の多くが真新しく建て替えられているのは、おそらく馬で潤っているからなのだろう。
終点様似
 浦河から再び海岸を走り、終点近くで海岸と分かれ、いくつかの丘陵をトンネルで抜けると終点様似に到着する。11時19分、苫小牧からは3時間19分の旅であった。前方、車止めの先には日高山脈の最南端、名峰アポイ岳が恥ずかしいのか、山頂を隠して横たわっていた。
(2014/8/26乗車)


北海道乗り尽くしの旅②

襟裳岬


岬突端付近から振り返る
 バスが岬に近い丘陵地帯を登り詰めると、右手にも左手にも真っ青な海が広がってきた。およそ周囲300度近い角度、後ろまで海が広がっている壮大な絶景がそこにあった。手持ちのカメラレンズではとても捉えきれないスケールだ。魚眼レンズを使うか、あるいは高い所まで昇って鳥瞰写真でも撮らない限り収まらない風景だ。何とか両側の海が写せないかとようやく探したポイントで撮影したのが右の写真だ。18㎜の広角で、ちっぽけながら二つの海岸が何とか入った。
襟裳岬灯台
 広尾行のバスが来るまで2時間半もある。岬の隅々まで散策するのには十分な時間だ。まずは灯台を目指す。岬の駐車場には3分の2程度車が止まっているので、8月も終わりが近づいているものの、観光客はまだ結構いるのだ。香川ナンバーや福岡ナンバーの車が混じっているが、大方は札幌や帯広から来ている。バイクのツーリング族も少なくない。50CCバイクに荷物を括り付けて旅している人がいる。とにかく例外中の例外は、鉄道とバスを乗り継いでやって来る旅行客なのである。中国人観光客も多い。彼らはツアーバスでやって来る。この日、クラブツーリズムで日本の中高年も大挙訪れていた。
記念写真ポイント
 青い海と青い空には白亜の灯台がよく似合う。それを通り過ぎれば太平洋が目の前に広がって、沖まで点々と岩が続く襟裳岬に辿り着く。襟裳岬は風の岬として、またゼニガタアザラシの生息地として有名だ。残念ながら肉眼で見えるのは海鵜ばかりだが、広がる水平線をみていると地球の丸さを感じることが出来る。丸く見えるのは知識がそうさせる錯覚なのだそうだが、この際そんなことはどうでもよい。ずうっとここにいれば視力は確実に回復するのではなかろうかと思えるほど、目にも心地よい。遠くを見ると水晶体が平べったくなるために眼球の筋肉がゆるむんじゃないかなあ、などと考える。
アポイ岳の向こうに様似がある
 様似の駅では雲に隠れていたアポイ岳も姿を現してきた。岬の地下に建設された風の館に行ってみる。ここからは単眼鏡でゼニガタアザラシが観察できる。親切な案内嬢が、岩の上で寝転がっている群れと、海で泳いでいる群れに望遠鏡を向けてくれた。いるいる! かなり遠い岩場なので見つけられなかった筈だ。先を急ぐ観光客の多くはこの施設をパスしていたが、ゼニガタアザラシを見ないで帰るのは勿体ない。ここはのんびり公共交通機関派の勝利である。風の館には風速25㍍の強風が体験できる風洞実験施設もあって、なかなか興味深い。

黄金道路
覆道が続く黄金道路

 様似からやって来た本日最後の広尾行JRバスからは数名の乗客全員が下車し、かわって数名の客が乗るだけのスカスカの状態で出発した。襟裳の集落を過ぎ、山が近づくと、その先は有名な黄金道路である。昭和9年竣工のこの道は、当時黄金を敷き詰められるほどの莫大な建設費がかかった道ということで名付けられ、全国的に有名になった。以前から通ってみたい道の一つだった。落石防止のため、至る所に覆道(ふくどう、ロックシェッド)があって、柱の間から海が眺められる。小樽から積丹に向かう途中にも同じようなところがあって、かつて訪れた際に路線バスから眺めた、息を呑むような波に洗われる奇岩の絶景が忘れられない。

 ところが技術の進歩と経済発展はここ襟裳にも押し寄せていて、今は次々と長大トンネルがくり貫かれ、安全と利便性が優先された道になっているのだった。地元の人には朗報だろうが、身勝手な旅人にはとってはガッカリだ。路線バスはひたすら暗闇の中を突っ走る。今でも海岸沿いの道は残っているようだから、この次は車で来なければいけないなと、鉄道の旅をしているのも忘れて、決意するのだった。

旧広尾線跡を訪ねて


旧広尾駅
 襟裳岬から広尾までは1時間、JRバスの運行はここまでだ。広尾のバス停留所は、旧広尾線の広尾駅をそのまま利用したところだった。駅は町の顔だから、おいそれとは取り壊せないのだろう。
 広尾線が1987年に廃止されたあと、引き継いだのは十勝バスである。旧線にほぼ沿った広尾国道を通って帯広までを2時間20分ほどで結んでいる。距離にして80㎞以上あるので時間がかかる。その出発まで30分以上ある。なんとも接続の悪いことよと思うが、もともと利用者が少ない上に、それはそれで戦略があったのである。
バス待合室に記念館併設
 この旧広尾駅は現在鉄道記念館になっていて、観光客の訪れを待っていた。バスの切符販売窓口のおじさんは、「バス発車までまだ時間があるので、どうぞ見ていって下さい」という。廃線跡に残った鉄道記念物を駅に展示するのは、音威子府にも天北線資料室があるが、当時を懐かしむ地元の人たちのメモリアルとして大切にされているのである。
通票閉塞機
 広尾線のジオラマ、ランプや鶴嘴、鉄道員が着た服、記念切符等々、とにかく関係あるものならなんでも寄せ集めたような展示だが、それはそれなりに面白い。通票閉塞機が一台置いてあったが、これは広尾駅が終点で隣駅が一つしかないからだ。一つの区間に1編成しか列車を入れさせない通行手形の発行機だから、その操作をするには人手が必要だった。つまり列車交換が可能な駅や終着駅にはすべて駅員が配置されている必要があった。無人駅だらけの今とは大違いだ。機械化される前は人々が安全を守っていた。近代化は人々から仕事を奪い、地方は衰退に向かうのである。
C11動輪
 駅の外にかつてレールが敷かれていた痕跡はどこにもない。ホームの前は駐車場になっていて、隣の公園にパットゴルフを楽しみに来た人の車が置かれていた。この公園は鉄道記念公園と名付けられ、片隅には腕木式信号機や蒸気機関車の動輪がモニュメントとなっていた。
 これらを見て回るうちにあっという間に30分は過ぎてしまった。バス停に戻ると、3〜4人の乗客が待っており、しばらくすると派手な黄色にカラーリングされた十勝バスがやって来た。おお、綺麗だなと思ったのもつかの間、乗車してみて愕然とする。窓がすこぶる汚いのだ。海水の飛沫を浴びてそのまま乾いてしまったのか、夥しい水滴の跡が連なっていて、これでは美しい北海道の景色が堪能できないではないか。しかも帯広までは2時間以上乗っていなければならないのだ。最悪!
 窓が綺麗だったらなあと、ため息が出るほど、外は広大な農園が広がっている。ここは十勝平野の南側に位置する畑地帯なのだ。真っ直ぐな国道と直角に交わる農道、隣の農園との境界に植えられた樹木が彼方まで続いている。更別村に着いたときは、ここは日本の村という概念では捉えられないなと感じた。国道から側道に入ったバスは、広々とした役所や野球場が点在する所を走っていく。あたりは芝生が敷き詰められ、樹木も多いが、どこも手入れが行き届いている。車内放送が「○○団地」というので外を見ると、バス停から団地とおぼしき平屋の建物までは芝生が敷き詰められ、あたかもアメリカの民家を見ているかのようだ。冬は厳しいのだろうなと思いつつも、この日本離れした景観が忘れられない。
駅舎は気動車の間か?
 広尾線が日本中に名を轟かせたのは、愛国と幸福という駅が人気を呼んだからだ。どうやら今でも観光地となっているらしく、快走するバスからも幸福駅とおぼしき所が垣間見られた。残念ながら激しく汚れた窓を通してシャッターを切ったので見苦しい点は許していただきたい。
 殆ど乗り降りのないまま、バスは帯広市内に入る。高等学校、イトーヨーカ堂、イオン、長崎屋等々、少しでも人がいそうな場所に停まりながらバスは進むのだが、一向に乗客は乗ってこない。あたりは薄暗くなってくる。初めて訪れる町への到着は出来れば明るいうちが望ましい。帯広の第一印象は、整然と綺麗なビルが建ち並ぶ、それでいて人通りのまばらな、ちょっと寒々とした街である。これは決して帯広が悪いわけではない。こんな時間に着くような旅を計画した自分に責任があるのだ。でも、苫小牧から襟裳を抜けて帯広に至るには、これしかないのも事実だった。公共交通機関による旅が時代遅れになってしまったのである。
(2014/8/26乗車)


北海道乗り尽くしの旅③


帯広から新得へ

早朝の帯広駅
 8月27日晴れ。今朝の帯広の気温は13度。肌がピンと張り詰めるような清涼感は格別だ。東京でいえば初冬の感じである。人通りの少ない早朝の街を駅まで歩く。駅前はホテルばかりでやや賑やかさに欠けるが、十勝地方の中核都市にふさわしくJRの駅舎はかなり立派な作りで、ショッピング街が東西に分かれ、どちらも小振りながらも地元の人や観光客が利用しやすいように整えられている。帯広名物の豚丼が食べられる店は、さすがにこの時間は閉まっているものの、昨晩は多くの人で賑わっていた。テイクアウトして食べてみたが、豚ロースの焼き肉とご飯に甘辛のタレがからまって、人気の秘密がよくわかった。店によって肉の部位にバリエーションがあるようなので、食べ比べが楽しそうだ。
よく見ると橋桁には十勝の風景が
描かれている。
        
 ところで帯広の駅のすぐ隣にはコンクリート製のなんとも存在感ある斜張橋がある。どうしてこんな大掛かりな?と思うが、それはホームに行くと納得する。幅の広い帯広の道路の上にホームに接した4本の線路を高架で渡すには、構造上橋桁を吊る必要があったのである。市街地のため騒音対策上コンクリート製の斜張橋を選んだのだろう。経年変化ですこし汚れてきたなと思ったら、それは橋桁に描かれた日高の山並みと森林だった。ちょっと申し訳ない気持ちになる。
ホームに接した斜張橋
列車は札幌行スーパーとかち
 池田からの滝川行普通列車が3両編成でやって来た。またもや高校生列車だ。キハ40は走り始めると排気ガスが車内にはいってきた。体には悪そうだけれど、ローカル線気分が盛り上がる。しばらく高架線が続いていて、帯広の街の広さが実感される。遠くにはこれから向かう日高山脈が連なっている。きょうの車窓風景は右が良いと予想したが、あきらかにこの時間は順光の左がいい。車内が混んできたので移動は諦めるしかない。芽室でまた沢山の高校生が乗り込んできて、私が座るボックス席にも2人の高1生が「空いてますか」と一声掛けてきて腰を下ろした。座ると一人は黙ってスマホをいじり始める。この光景は日本全国どこも変わらないが、驚いたことにもう一人はノートを開いて勉強を始めた。気がついてみるとあちこちで勉強している。感心、感心!
 車内の殆どの生徒は同じ学校と見えて似た制服を着ている。半袖シャツ姿、ネクタイ着用派、上着まで着用とてんでバラバラだが、明らかに同じ生地、同じ仕立ての制服である。ここの気候では柔軟性が必要と見える。大半は十勝清水で下車した。
 降りる際に「レナ、バイバイ」と言われた高校生は新得までの乗車。残った高校生たちの方は少し行儀が悪いが、先程の高校生が出来が良すぎたのだろう。
 新得で高校生が下車してしまうと、車内はガラガラになってしまった。狩勝峠を越えると生活圏が変わるので普通列車の需要は多くない。お約束の車両切り離しが行われ、この先は単行ワンマン運転になる。

日高山脈を越えて富良野へ
 たった乗客4名を乗せて列車は出発した。運転手が替わり、明るい真面目そうな人になった。指差喚呼も丁寧に行っている。こういう人にとって見れば、昨今のJR北海道の失態は辛いことだろうなと思う。
 新得は2年前に訪れて名物の蕎麦を食べたところだ。見覚えのある駅前風景が懐かしい。ここから落合までの狩勝峠越えは、運転台の後ろやドア窓など、あちらこちらに移動しながら存分に楽しむ。空いているので、人目も気にならない。


<狩勝峠越え>
切り離し作業を終えて引き上げる作業員 新得駅で


新得を出るとすぐにトンネル、入り登りとなる

農耕地の中を登っていく

風雪除けのフェンスがあちこちに

大きく迂回しながら登坂するのできつい坂ではない

十勝平野は広大だが、高度感は今ひとつ

駅間が長いためいくつも信号場がある

新狩勝トンネル新得側入り口

石勝線側出口からの光

落合側出口
 車窓からは十勝平野が見渡されるが、今ひとつ高度感が足りない。しかし日高山脈を越えていくための大迂回は見どころ十分だ。駅間が長いために随所に信号場があって列車交換が可能となっている。
幌舞は終着駅という設定だった。
 新狩勝トンネルは、トンネル内で石勝線と根室本線が合流する珍しい構造になっていて、石狩側には2カ所の出口がある面白いトンネルだ。運転台の後ろからこの構造をしっかり見させてもらった。石勝線側は出口こそ見えないが、外の光が壁を浮かび上がらせている。トンネル内に上落合信号場がある。この辺りの信号場には分岐器上に必ずスノーシェッドが設置されているので、保線の都合上トンネル内に信号場をつくるほうが効率的だったのだろう。
夕張山地の最高峰。綺麗な 鋭峰が
印象的。           
 落合の次、幾寅は映画『鉄道員(ぽっぽや)』のロケ地となったところである。映画は、架空の駅「幌舞」を舞台に、鉄道一筋に愚直に生きる高倉健が、仕事一筋ゆえに死に目に会えなかった娘の亡霊に慰められながら大往生を遂げる名作だ。それにしてもホロマイはいかにもありそうな名前だが、イクトラはいかがなものだろう。こちらの方があり得ない地名に思えてしまう。
 釣り人が楽しむ金山湖を過ぎ、富良野の盆地に入ると正面に見える尖った山は芦別岳で、ここでも車窓は左が美しい。
ようやく姿をあらわしたものの
山頂は雲の中。       

 右側に席をとったのは金山湖や十勝岳を楽しみたかったからだが、40年前に訪れた時に比べ木々が生い茂った金山湖はなかなか姿を見せず、十勝岳も手前の里山に阻まれてようやく姿を現したのは、最後の最後、富良野到着直前だった。次回乗るなら左だ。


根室本線(島ノ下→野花南13.9㎞)・・残りあと3路線

 根室本線には以前から未乗区間が残っていた。富良野の次、島ノ下・野花南間の13.9㎞である。ほぼ全線トンネル区間だ。1991年滝里ダム建設のため新ルートに切り替えになり、旧滝里駅は今湖底に沈んでいる。今回はこのトンネルをくぐりに来たというわけだ。トンネルでは景色も楽しめず、アホくさいと思いつつ、無事完乗! 
釧路行
 野花南(のかなん)駅で列車交換となる。やって来たのは同じキハ40だが、あちらはとても有名な列車だ。滝川発の各駅停車で、鈍行最長運転時間を誇る2429D釧路行である。滝川を9:37に出発し、釧路に17:39に着く、8時間2分の長旅だ。完乗の満足感よりも、珍しい列車に出会えたことの方がワクワクする。運転距離は308㎞。現在距離として最長鈍行は、岡山から新山口まで走る電車で、316㎞を5時間45分かけて走破する。釧路まで乗り尽くす人は一体何人乗っているだろう。もちろんそんな物好きはファン以外にありえない。
滝川にて
 芦別からは田園風景が一変して、稲作地帯に入る。滝川に近づくと、正面に暑寒別の山々が見えてくる。あの向こうは日本海だ。なだらかな丸加高原を過ぎ、列車は函館本線と合流してまもなく滝川駅1番線ホームに到着した。滝川は帯広とはうって変わって夏模様。からりと暑い。上空をグライダーが旋回していた。
(2014/8/27乗車)

北海道乗り尽くしの旅④

修行のような

 未乗区間はあと2つ、最後に残ったのは札幌の市電と地下鉄だ。地下鉄は3路線あるので正確には4路線なのだが、この際一括りで考える。正直言って乗りたくて乗るのとはちょっと違う。たいへんバカバカしい話だが、完乗のために乗らなくてはならないという、<悲壮感>あふれる話であり、まさに修行のようなものなのだ。

 まず、地下鉄から片づけよう。
 札幌の地下鉄は、南北線・東西線・東豊線の3路線が大通を乗換駅として6方面に広がっている。これが厄介で実に攻略しづらい。行って帰ってこなくてはならないから、結局すべて往復する必要がある。しかもほとんどが真っ暗なトンネルの中だ。乗る前からうんざりする。

南北線(さっぽろ→麻生-14.3km→真駒内→自衛隊前→すすきの)

緑豊かな真駒内
駅の前方にはシェルターが続く
 南北線はオリンピック開催時に開業した札幌で最初の地下鉄だ。その夏、真新しい地下鉄に乗って真駒内まで行ったことがある。
 その年の夏は、涼しいはずの北海道がとても暑く、ほとんどの鉄道には冷房がなかったので、気動車や蒸気機関車中心の旅は随分しんどかった。そのような中、札幌地下鉄の各車両には風鈴が吊り下げられていて、涼を呼んでいるのが爽やかで印象的だった。あのころの緑色の車両は既にみな廃車となったが、冷房が装備されていないのは今も同じだ。でも風鈴は吊されていない。大都市札幌の混雑状態から見れば、仕方のないことだろう。
 
自衛隊前にて
まず麻生(あさぶ)に行く。これで南北線はあっさりと制覇。一旦改札を出て地上まで階段を昇る。ランドマークになるようなものは
なく、店と住宅とバス通りのある平凡な風景である。すぐに戻って真駒内行に乗車する。大通公園を通過し40年ぶりに真駒内へ行く。未乗区間ではないが、札幌地下鉄唯一の地上区間だから、車窓が楽しめるので引き続き乗車する。地上区間の特徴は、冬の積雪から守るために高架部分がすべてシェルターになっていることだ。ここからは乗り心地が悪くなる。高架の構造がかなり柔構造になっているため、揺れが増幅するものと見える。タイヤ走行の札幌地下鉄は、やはり鉄道というよりは道路とバスのようだ。とにかくよく揺れる。

札幌市交通局路面電車(すすきの→ロープウェイ入口→西四丁目8.4㎞)・・残り2つ

すすきの停留所
 すすきのに戻って、市電に乗り換える。
 市電にはかつて乗ったことがあるような気もするが、記憶がはっきりとしない。観光客にとっては藻岩山へ行く際に利用する位しかないので、登ったことのない自分には利用した理由は見当たらないのである。この際だからついでに藻岩山にも登っておこう。少しはモチベーションを上げようという作戦だ。
 札幌の市電は始点と終点とがわずか400mしか離れていない。近い将来、かつてそうだったように、再び結ばれるという。そうなれば環状運転が可能となり、利便性が増すだろう。しかも低床式の新型車両も導入した。今なにかと話題の路面電車なのだ。
眼下に札幌の街が広がる
 すすきのから乗車し藻岩山に向かう。乗りながら、改めてこれには乗ったことがあるなと感じた。しかし、時期や目的は相変わらず不明である。すすきのにある東急インに泊まった際に違いない。記憶の奥底で繋がってきたが、目的が思い出せない。印象は希薄だ。一瞬だが、新型車両がすれ違う。いかにも路面電車である旧型とは著しい隔たりを感じる。オシャレで軽快。市民には朗報だろう。

藻岩山ロープウェイ・もーりすカー

もーりすカーは
ケーブルの一種
 ロープウェイ入口で下車。降りてすぐのところに無料シャトルバスの停留所がある。これは嬉しい。15分間隔で送迎がある。この先ロープウェイも15分間隔、もーりすカー(ケーブル式昇降機)も15分間隔。微妙な待ち時間があるので、往復には2時間ほどかかり、陽もだいぶ傾いてきた。ロープウェイ入口から西4丁目まで市電に乗って、市電制覇。
市電
 考えても見れば今日は朝から休みなく乗り通しで、昼食もとってなかった。歩いてすぐの大通公園でとうきびでも食べようと思う。甘辛のしょうゆだれを選んだのは、以前食べた時にそれほど甘くておいしいなとは思わなかったからだが、やはりこれくらいの味付けがあった方が食べやすいトウモロコシだった。腹の足しにはなるから、まあいっか。

東西線(大通→宮の沢-20.1㎞→新さっぽろ)

 地下鉄乗車を再開する。次に目指すは東西線の宮の沢である。3路線の中で最も長い東西線の走破がもっとも憂鬱だった。5時を過ぎ、ちょうど帰宅ラッシュが始まったところである。目の前に座ったのは、札幌の名門私立の中学生3人。なかなかしつけもよろしい感じで、スマホでゲームをする高校生とは明らかに違う。駅に停まるごとに別れを告げて行儀よく降りて行った。
 琴似を越えて終点は宮の沢。ここでも改札口を出て、動く歩道付きの長い地下道を通って、ようやく長いエスカレーターにたどり着き、地上に出る。そこは大きなビルの一階に設けられたバスターミナルだった。人々がここからバスに乗り継いでいく。札幌は大きな街なのだ。通勤通学も楽じゃない。
 また引き返して、新さっぽろ行に乗る。ガラガラだった車内も大通公園からは混雑してきた。それにしても、なかなか終点には着かない。飽きてきた。新さっぽろから大通に戻るのが苦痛になってきた。修行だと自分に言い聞かせても、我慢の限界である。片道だけなら我慢もする。往復はうんざりだ。その時、新さっぽろからはJRで札幌に戻り、そこから最後の東豊線に乗ればいいことに気付く。外は暗くても景色は見える。早速このアイディアに飛びついた。

JR(新さっぽろ→札幌)

 新さっぽろはすべての特急が停まる主要な駅である。ちょうど新千歳空港発旭川行の快速がやってきた。札幌からは特急スーパーカムイ37号になる列車なので、3扉車ではなく、2扉の特急電車車両である。途中駅には停まらない。混んではいたがデッキで過ごす。夜のとばりが降り始めた札幌の町を猛スピードで突っ走る。車端のため揺れもひどい。ふと保線状態は大丈夫かと頭をよぎる。無事札幌駅に到着する。

東豊線(さっぽろ→栄町-13.6km→福住→さっぽろ)・・ついに最後の1路線

福住駅にて
 いよいよラストの東豊線。札幌で一番新しい地下鉄だ。ただ東豊線の以後に東西・南北線車両は更新されたために、車体のデザインは同じでも車内のサインシステムは東豊線の方が古い。まずは栄町へ向かう。改札を出ると今日訪れた終点の駅では一番地味な感じの十字路が目の前にあった。ここからは丘珠空港が近いらしい。すぐに別の入り口から改札口へ向かい、福住行に乗る。ひどく疲れていた。ただ目で追っているのは駅名と路線図、「あとなん駅で終わる!」それだけを考えていた。
 そしてついに完乗の時は来た。電車が福住に到着し、重たい頭で特に感慨もないままにふらふらと改札口を出る。地上に続く通路を歩きながら、何となく色とりどりの壁を眺め、ふとその刺激の中でこれは何だろうと貼られたポスターのひとつに目が留まった。この地上に続く地下道はポスターや旗で飾られていたのである。それを見て、ここが日ハムファイターズとコンサドーレ札幌の本拠地、札幌ドームの最寄駅であることを初めて知った。試合のある日はファンやサポーターの熱気でいっぱいになるはずの連絡通路には、選手たちの写真がたくさん飾られている。エスカレーターに乗るとイトーヨーカドーの入り口があり、大きなショウウィンドウにはコンサドーレのユニフォーム、Tシャツやグッズが所狭しと展示され売られている。福住は祝祭の街であった。フィニッシュを迎えるのにこんなにふさわしい駅はない。色とりどりの飾りを眺めながら、じわじわと湧き起こる達成感に浸ることができた。
(2014/8/27乗車)