2017年4月5日水曜日

今も現役の軽便鉄道、三岐鉄道北勢線

 昭和30年代以降、日本中から次々と姿を消した軌間762㎜の軽便鉄道。三重県には今も二つの会社3路線が残っている。その一つが、三岐鉄道北勢線だ。
 近鉄・JRの桑名駅から少し歩くと、遊園地で見るようなかわいらしい線路に出会える。ここが西桑名駅だ。終点阿下喜まで20.4㎞、ローカル線の旅が始まる。

西桑名駅

 ホームに停まっていた黄色い電車は、近鉄時代に造られた270系と呼ばれるタイプ。車幅は狭いけれど、縦長の顔で、載ってみると意外に広い。というのも天井が高く、車長も15mあって、なかなか本格的な通勤電車だ。

阿下喜行
 それでもいったん走り出すと、車体は小刻みに激しく揺れ、モーターが豪快な音を響かせる。旧式な吊り掛け駆動だ。年配の人には懐かしい電車だろう。4両編成でありながら、ワンマン運転。乗り心地としては、都電の荒川線に似ている。保線の悪い(失礼!)専用軌道を突っ走る感じ。

東員駅にて

東員駅で、向こうからやって来たのは同じ270系。車体に比べてやたらとパンタグラフが大きい。改めてサイズが小さい軽便鉄道なのだなと痛感する。

大泉駅にて

 続いて大泉駅で擦れ違ったのは、200系電車。三重交通時代に造られた旧4400形だから旧タイプの電車である。湘南電車型の瀟洒なデザインで、かまぼこ形の270系とはひと味違う。

終点阿下喜

 北勢線は員弁川(いなべがわ)沿いの田園地帯を鈴鹿山脈に向かって進む路線で、比較的住宅が多いものの、沿線に大きな町はない。何度も経営母体が変わり、多くのローカル線を抱えた近鉄からも見放されて、今は地元自治体の援助の下に、三岐鉄道が経営している。この先、車両の交換時期が来たとき、存続できるかどうかの正念場となろう。中古の軽便鉄道用車両など、どこにもないからだ。 
 終点阿下喜は、駅前周辺も含めて綺麗に整備された駅だ。隣接して、軽便鉄道博物館があるが、平日のため閉館。かつて遣われたターンテーブルや近鉄時代の塗装を身に纏った220系電車があった。これはもともと戦前の車両で、整備復元されたもの。

モニ226の塗装は近鉄時代のもの

(2017/4/5乗車)

【付記】
 沿線風景で印象的なのは、次第に近づいてくる藤原岳。石灰岩の山だ。三岐鉄道三岐線は、ここの石灰岩輸送を目的とした貨物輸送のために建設された鉄道である。当初北勢線を延長して石灰を運ぼうという計画もあったようだが、間を流れる員弁川とその先の河岸段丘に阻まれて断念し、そのかわりに三岐線は建設されたという。今も石灰岩を載せた貨物列車が三岐線を走る。北勢線は、その三岐鉄道に吸収されたという歴史がある。

藤原岳の麓に広がる濃い緑が員弁川の河岸段丘。
その大地の上に、太平洋セメント藤原工場があり
その一角に三岐鉄道の東藤原駅がある。    
(阿下喜駅付近からの景観)

2017年1月1日日曜日

総合索引

地域別索引


北海道

被災地仙石線を訪ねて(2014/10/2)
東北本線完乗記(2014/10/2) 
被災地気仙沼線を訪ねて(2015/7/1) 
こちらにお座り下さい…東北新幹線篇(2017/7/24) 

関東


甲信越

東海

餃子と試練と豊橋鉄道(2015/7/23)
森の鉄道 リニモ(2016/9/25) 
東海道線 もう一つの終着駅(2016/12/28) 
給水塔とタブレット(2016/12/28) 
今も現役の軽便鉄道 三岐鉄道北勢線(2017/4/5) 
明治の鉄道遺産めぐり(2017/12/20)
これも鉄道です(2019/9/10)


北陸

スイッチバック讃歌(2011/8/17) 
鉄道王国の新世代路面電車(2014/10/1) 
コミック列車の似合う町(2014/10/1) 
福井の鉄道 これぞ日本のStadtbahnだ!(2015/8/5) 
福井の鉄道 恐竜王国篇(2015/8/4) 
高熱隧道を行く<全3話>(2018/5/30)
これも鉄道です(2019/9/10)


近畿

ぐるっと紀伊半島ひとめぐり(2015/4/2) 
副業が鉄道会社!?(2016/12/29) 
近鉄物語① 生駒を超える(2017/5/13)
近鉄物語② しまかぜ乗車記(2017/5/15)
近江鉄道、車窓の景色が宝物!?(2017/12/22)
鉄道会社はお寺さん(2018/5/9)

山陽

改造電車が走る町(2015/1/6) 
100万都市の路面電車(2016/1/6)
中国山地の「癒され列車」(2016/1/5)
これも鉄道です(2019/9/10)


山陰

おろちループとスイッチバック(2011/1/6) 
スイッチバック讃歌(2011/1/6) 
懐かしの山陰本線<全3話>(2015/1/5) 

四国


九州

関門海峡今昔物語(2015/1/6) 
世界で一番すてきな通学列車(2017/8/23) 
山岳鉄道の魅力あふれる肥薩線(2017/8/23) 
鉄道遺産としての肥薩線(2017/8/23)
最果ての駅 九州編(2017/8/22) 

海外






テーマ別索引


JRアルバム

民鉄アルバム 

松本電気鉄道上高地線(2014/4/1)  
高松琴平電気鉄道(2016/8/24)  
今も現役の軽便鉄道 三岐鉄道北勢線(2017/4/5)  




 <ラベル凡例>


コンテンツは次の通りです。

乗り尽くし(シリーズ):このブログのメインテーマです
昼景色(シリーズ):車窓風景を楽しむ旅です
山岳鉄道(シリーズ):私は山岳鉄道愛好家です
終着駅(シリーズ):お気に入りの駅をご紹介します
博物館(シリーズ):保存鉄道施設をご紹介します
旅のノート:自分への備忘録です。ご参考までにどうぞ
こちらにお座り下さい:景色を楽しみたい方へのご提案です
※今後ラベルは変更されることがあります

※スマホ版はラベルが表示されません

2016年12月29日木曜日

副業が鉄道会社!?

「日本一最短のローカル線」

 和歌山県の御坊市を走る紀州鉄道の本社は東京にある。それだけでも珍しいが、会社のルーツは福島だという。この会社の実態は「上質なる余暇を通じて、共生の未来を創造する」ことをポリシーとするレジャー産業なのだ。経営するホテルの多くは紀州鉄道の名前を冠していて、鉄道会社であることが信用をもとになっているのだという。だからこのローカル線は、レジャー産業の鉄道事業部門という位置づけになる。何となく奇妙な感じもするが、日本民営鉄道協会に所属する歴とした鉄道会社でもある。日本一最短の鉄道というキャッチコピーも気になるところだ。和歌山から更に紀勢本線で1時間掛かる御坊を訪ねてみた。

 乗ってみて、まず運賃がとても安いことに驚いた。わずか2.7㎞しかないとはいえ、今どき180円というのはきわめて良心的ではないか。ほとんど誰も乗っていないのに、まるで儲ける気がないのでは、とすら思えてくる。
 その代償として、車両はお世辞にも綺麗とは言えない。スピードも遅く、御坊駅を出たすぐのカーブで、いきなり15㎞/h規制がかかる。踏切をノロノロと通過するので、待っている自動車の運転手はさぞイライラしていることだろう。
波打つ線路と歩く人
(中央、線路脇の日陰
を歩いている) 

 直線区間に入って若干スピードをあげるが、20㎞/h規制区間が随所にある。それでもディーゼルエンジンのうなる音は相当なもので、それ以上に縦横の揺れが激しい。運転台越しに見える前方の線路を見れば納得もいく。草に覆われ枕木の見えない線路が波打っているのである。その線路道を人が歩いている。ここまで野趣に富んだ鉄道も珍しい。
 沿線最大の駅は紀州御坊駅である。ここには車庫があって数両のディーゼルカーが停まっているが、途中に列車の交換施設は一切ないから、全線で走る列車は常に1編成に限られる。従って、踏切遮断の表示灯以外、信号に関わる設備はまったくなかった。
西御坊駅入り口側

 終点の西御坊は実に凄いとしかいいようのない駅だった。踏切に接したきわめて狭い土地に、古風なといえば聞こえはいいが、真っ黒な、まるで小屋のような駅舎に、申し訳程度の狭いホームが付いている。幅50㎝もないくらいだろうか。待合室からいきなり列車に乗るという感じだ。
西御坊駅裏側

 さらに反対側がまた凄い。車止めと列車が接しているばかりでなく、駅構内に立ち入ることを禁止するゼブラに塗られた横板までもが列車に接している。停車には相当神経を使うだろうと思うものの、通常の運転自体が徐行しているようなものだから問題ないのかもしれない。要するに、人家に列車が飛び込んでいるかのような、庶民の生活感あふれる鉄道なのである。

 紀州鉄道の前身、御坊臨海鉄道時代にはさらに700m先まで線路が延びていた。平成元年に廃止された後も線路は放置されたまま残っているので、今でも走らせられそうだが、よく見ると、車止めから10m先の小さな川の部分だけは線路が撤去されていた。
 どう見ても超赤字ローカル線だが、不思議と廃線の噂はない。親会社が紀州鉄道という名前を手放したくないからだというが、如何なものだろう。ただできうる限りお金を掛けず、切り詰めた経営で存続を図っていることだけは間違いない。今後ますます速度規制区間が広がるかもしれないが、できる限りの延命を願うばかりである。
(2016/12/29乗車)

  注)芝山鉄道は2.2㎞で紀州鉄道より500m短い。ただし全列車が京成乗り入れで自社車両もない。

2016年12月28日水曜日

給水塔とタブレット

運転再開を果たした名松線

 今年の3月、およそ6年半ぶりに名松線が全面復旧した。旧国鉄の赤字ローカル線として第2次廃止対象路線に選ばれながら、代替道路が未整備だったために一旦は廃止を逃れたものの、2009年の台風18号によって数十箇所で土砂崩れや路盤流失が起こり、家城・伊勢奥津間が運行停止になっていた。地元住民や自治体の粘り強い努力が、JRを動かしたといえる。喜ばしい限りだ。ぜひとも乗らなければならない。一度乗ったからと言って、地元経済には雀の涙ほどにも利益を落とせないが、思いだけは伝えることができるだろう。

 紀勢本線の松阪を起点とする名松線。松が世界ブランド「松阪牛」の松阪であることは誰にでもわかるだろう。それでは名は? 名古屋のはずもなく、答えられる人は地元の方以外は少ないのではないか。正解は名張、近鉄大阪線の特急停車駅だ。近鉄が松阪と名張をすでに結んでしまっているので、名松線を完成させる意義は全くなくなってしまった。廃止対象となったのも仕方ないことだったのである。
 今回復旧した家城・伊勢奥津間は美杉町という名からもわかるように、杉の美林が自慢の土地だ。当然産業の中心は林業である。伊勢八知駅のそばには大きな貯木場があるが、それを鉄道が輸送することはない。手間の掛かる貨物輸送を鉄道がやめてしまった結果、地域の鉄道そのものも役目を終えてしまったのだ。
長いホームも今は無用となった

 山のあちこちには伐採され、植林前の禿げ山のように見えるところもある。急斜面だから豪雨の際は深刻な土砂崩れも多いことが伺える。雲出川の川原には、大きな石がゴロゴロしていて、穏やかな今日は景色を楽しむことができるが、一旦雨が降り出すと濁流となることが手に取るようにわかる。そうこうするうちに終点の伊勢奥津に到着する。最後まで乗車してきたのはわずか3名だった。
現在貯水タンクは
興津駅のシンボル

 終着駅の伊勢奥津には今でも蒸気機関車時代の貯水タンクが残っている。かつてはここで機関車の付け替えが行われ、多くの木材が運び出されたことだろう。住民センターと兼用の駅舎や隣接する観光案内施設は、杉をふんだんに使った瀟洒な建物だ。案内所を訪ねると、お茶でもてなしてくれた。1日の乗客が30人に満たない伊勢奥津だから、旅行者は大歓迎なのだろう。お返しに素朴な饅頭と名松線グッズのメモ帳を購入した。案内所内には、貯水タンクをモチーフとした水彩画が飾られていて、その絵葉書も売られていた。

 折り返しの松阪行に乗り込み、列車が出発をすると、先程お茶をご馳走してくれた人達が駅舎の窓から旗を振って見送ってくれている。「また来てね」と書かれているが、残念ながらまた来ることはないだろうなと思う。全国を廻ろうとしている鉄路の旅人は、その土地の経済には何の役にも立たない。申し訳ないと思う。

 家城まで戻ってきた。ここで列車は交換する。名松線は全線単線であり、本数も少ないことから自動信号機が使われているわけではない。今では全国でも珍しくなったタブレット(通票)の交換が行われる。
交換する下り列車が到着

 まず伊勢奥津からの上り列車が到着する。駅員はスタフの入ったキャリアを運転手から受け取る。家城・伊勢奥津間は1列車しか入ることができないので、その通行許可証がスタフとよばれるものである。これは当然1つしか存在せず、下り列車が到着すれば渡される。
駅員が通票の入ったキャリアを
運んでいる         

 下り列車が到着すると、通票を受け取る。家城・松阪間では、たとえば上り列車を待つことなく下り列車が2本続けて運転されることもある。その場合、一つしかないスタフでは対応できない。一区間には一つの通票しかないので、先行する列車に通券とよばれるものをまず持たせ、後続が通票を持つようにする。通券は通票がなければ開かない箱にしまっておくというように、厳重に管理される。なお、続行させない場合は通票をそのまま使えばよい。少々わかりにくいが、単線で列車を衝突させない前時代的な仕組みである。
通票を受け取って
出発進行    

 只見線が自動信号式になり、通票閉塞式の鉄道がだいぶ珍しくなった。この方式を採る限り、交換のために有人駅が必要となるので、設備投資か人件費節約かの選択が迫られることになる。列車本数が多くなれば自動信号機の設備投資するだろうし、乗客が減れば人件費負担が厳しくなる。いずれにせよ消えていく方式であることに間違いないが、鉄道愛好家にとっては実に興味深い単線鉄道の儀式なのである。
(2016/12/28乗車)

 

東海道線 もう一つの終着駅

大垣界隈

 鉄道ファンにとって大垣は聖地のひとつ。誰だって大垣夜行に一度は乗ったことがあるに違いない。それでも多くの人はドアが開いた瞬間にホームに飛び出し、乗り継ぎの西明石行きの席を取ろうと、一目散に階段を駆け上がるばかりで、大垣そのものを目的に旅した人は少ないに違いない。俳聖芭蕉が『奥の細道』で大垣を終着点としたあと、すぐに伊勢へ旅立ったように、旅の終わりは旅の始まりを地でいくような通過駅の一つなのだ。
 ところがどっこい、この駅に集まる鉄道にはなかなか趣深いものがある。国鉄旧樽見線から引き継がれた樽見鉄道、近鉄から分社化された養老鉄道という風に、過疎化の影響で廃線の憂き目にあいそうな、だからこそ味わい深い鉄道のターミナルになっている。
 東海道線を岐阜方面から大垣を目指すと、車窓右側には美しい伊吹山地の山々が次第に迫ってきて、揖斐川橋梁を渡る頃には景色が大きく開け、何連も連なる見事なトラス橋が見えてくる。樽見鉄道である。さすが旧国鉄路線だけのことはあり、堂々とした橋梁はとても廃線の危機にあるとは思えないほどだ。それもそのはず、この鉄橋は明治時代に造られた御殿場線で使われていたものを移築したものだそうだ。乗りたくなること請け合いである。
 もっとも今回の旅の目的はそこではない。もう一つの路線、といっても現在もJR東海に所属する路線がある。名前は…東海道線、通称「美濃赤坂線」という枝線である。乗り尽くしファンにとっては、ここはなかなか訪れ難く、東海道線完乗を果たせない原因となっている。漸くこの地を訪れる機会がやってきた。

 雪の多い関ヶ原に近いだけあって、早朝の大垣駅は底冷えがする。12月末の美濃地方は6時半近くになっても辺りは真っ暗だ。美濃赤坂線は駅の片隅にある切り欠き式の3番線から出発する。ホームを歩いていくと待合室の向こう側に、すでにJR東海の主力313系2両編成が停まっていた。1日20本に満たない閑散路線だが、優良鉄道会社だけに車両は立派だ。6時29分の始発電車には、地元の人とおそらく鉄道マニアの数名しか乗っていない。
 ワンマンカーの車内アナウンスが終わると電車は大垣駅を出発し、真っ暗闇の中を疾走する。広い車両区を突き抜けているはずだが、明るい車内の光に邪魔されて外がよく見えない。もう本線とは分岐したのだろうか。それにしても支線を走るのとは異なって揺れが少ないから、まだ本線なのだろうか、そんな筈はないのにと思ったところで、電車は徐行する。しばらくすると高速で貨物列車がすれ違っていった。走り出してすぐ、中間の荒尾駅に到着する。予想外に貨物列車が走るような支線だったのだと思った。場内直前にポイントがあり、単線となって荒尾駅に到着した。

石灰岩輸送で生き残った駅

 東の空が白んでいる。天気は良いようだ。こんな時間の下り電車からは、降りる人も乗ってくる人もいなかった。あと一駅。ここからは急に電車が揺れだした。支線ならではの、お馴染みの揺れだ。大垣を出てわずか6分で終点美濃赤坂に到着した。
古い駅舎に新しい312系電車

 夜明けは急速に訪れる。鉄道マニア達は、下車すると慌ただしく駅舎の写真撮影を終わらせて、再び車上の人となった。折り返し6時39分発大垣行き。わずか4分の滞在時間である。私は次の電車を待つ。木造の駅舎には改札もなく無人駅の筈なのだが、事務室には蛍光灯が灯っていて誰かいる気配だ。しかし誰も出ては来なかった。
 古くからある終着駅にはどこか哀愁が漂っている。このなんとも黄昏れた雰囲気が好きで、しばらくここにいたいと思うのである。駅舎をでて車止めのところまで歩いていき、折り返し電車を見送る。
停まっている貨物の向こうに 
屋根付きの貨物ホームが見える

 美濃赤坂駅は、巨大な廃墟のような、とても広い構内を持つ駅だった。何本もの、果たして使われているんだろうかと思わせるような引き込み線があり、貨物用と思われる建物付ホームや放置された貨物車がある。

 はたしてここはいったいどんなところなのか。駅舎の壁に石灰岩輸送の説明があり、ようやく納得がいった。資源小国日本にとって数少ない自給率100%を誇る石灰岩が、この先にある金生山で採れ、そこまで貨物専用の西濃鉄道の線路が続いているのだ。つまり美濃赤坂は、西濃鉄道とJR貨物の接点であり、線路はJR東海の管轄となっている。さらに駅はJR東海にとっては無人駅で、西濃鉄道が事務所として使っているという。これで無人駅に人がいる謎も氷解した。
東の外れに非電化の
西濃鉄道線が北に向
かって続いてる。 

 かつてはここから大垣夜行が出発・到着した時代もあったという。西濃鉄道も戦時中までは旅客扱いをしていたそうだ。しかし今は1日の乗降客が300人台のローカル駅となり、日に20本に満たない数の電車が大垣駅との間を往復するに過ぎない。

 7時01分発の2番電車が回送でやって来た。通勤通学で賑わう7時台には3本設定されている。いつの間にか通勤客が集まっていた。ドアが開き、全員クロスシートに収まり、大垣向けて出発する。
開扉を待つ通勤客

 電車はガタピシ揺れながら真っ直ぐなレールの上を走っていく。左にカーブし始めた途中に荒尾駅はあった。2両では持て余すような長いホームは、同じ曲率で綺麗に曲がっている。ここでも10人ほどの通勤客が乗ってきた。全員シートに座っても、まだ余裕は十分ある。立っているのは運転席後ろで車窓を楽しんでいる私だけだ。
 眩しく朝陽が降り注ぐ中を電車は複線線路に近づいて行った。その時初めてわかったことがある。荒尾駅は東海道本線のすぐ脇に設置されていたのだ。往路は真っ暗でわからなかったが、あのすれ違ったの貨物は、本線を行くコンテナ列車だった。こちらが徐行したのは、本線上りを通過する貨物列車を待つためであり、通過後に上り線路を横切って荒尾駅に進入したのだった。
 美濃赤坂線5.0㎞のうち、荒尾・美濃赤坂間はわずか1.6㎞に過ぎない。残り3.4㎞は東海道本線そのものだった。どうりで揺れも少なく爆走していたはずである。暗くて何もわからず、支線だと思い込んでいただけだった。それはともかく、これでようやく東海道線を乗り尽くした。
(2016/12/28乗車)

2016年9月25日日曜日

森の鉄道 リニモ


愛知高速交通 東部丘陵線


 先頭車窓から広がる風景は、まるで森の奥深くに沈み込んでいくジェットコースターのようだった。陶芸資料館南駅を出たリニモは緑豊かな丘陵地帯を右に大きく進路を変えながら高度をぐんぐんと下げていく。それがまるで絶叫マシンに乗っているかのような錯覚を与えてくれるのだ。愛・地球博記念公園に聳え立つ大観覧車を眺めてすぐの出来事だったことも影響していたかもしれない。架線も何もない不思議な乗り物リニモは、そんな不思議な体験をさせてくれる愉快な鉄道だ。


 名古屋市交通局1号線、東山線の終点藤が丘は高架駅となっていて、あたりは小振りな商業ビルが建て並んおり、お目当てのリニモらしきものはどこにも見当たらない。今回の旅は出張の仕事を片付けた後の、わずかな時間を利用したプチ旅行なので、何の予備知識もなくやってきたのだった。東山線が第三軌条方式の地下鉄だということも、乗り換え駅の名前もよくわからないまま、常温磁気浮上式リニアモーターカーに乗ってみたいという思いだけで、ここを訪れた。2005年に愛・地球博が開かれてからすでに10年以上が経っている。万博後にアクセス交通機関が廃止されてしまうことはよくあることだが、リニモは不思議と残っている。浮上式の鉄道はここだけなので、ぜひ乗車してみたかった。
 東山線を降りても見当たらないのは当たり前、リニモの藤が丘駅は地下にあった。手狭な階段を降りると地下一階は改札口のあるコンコース。わずか8.7キロの路線に370円という決して安くはない切符を買って地下二階まで降りると、安全のためにガラスで囲まれたホームが現れた。リニモは完全な無人運転を行うので、腰高のホームドアではなく、スクリーンドアが設置されている。東京のゆりかもめや舎人ライナーと同じだ。
 午後の閑散とした時間帯ということもあって、乗客はほとんどいないけれど、子供連れの親子が先頭の席にすわっているので、そのすぐ後ろのボックスシートに腰を下ろす。窓が大きく、しかも無人運転だから、前方の眺めはよい。列車のドアとスライドドアがわずかの時間差をおいて閉まると、滑るように走り始める。滑るようにとはまさに比喩でもなんでもなく、まったく上下動がないのだ。鉄輪の電車とも、ゴムタイヤの新交通システムとも全く異なる、新感覚の乗り物だ。ただし揺れないのかというとそうではなく、横揺れだけがある。これをなくせば完璧なのにと思いつつ、結構小刻みに揺れるものだから、超快適とまではいかないようだ。
 地下区間を1㎞ほど進んで地上に出れば、最初の駅「はなみずき通」である。沿線唯一の地上駅なのだそうだ。そこから先は高架式となり杁ヶ池公園に着く。難読駅だなあと思って駅名表示板をみると何ということはない。「いりがいけ」と読む。どうして木偏なのだろうか。どうやら日本で考案された漢字であるらしく、堤に設置する水量調節用の樋の意味なのだそうだ。愛知県の地名に多いというから、この地方には堤に突き刺した樋がいくつもあって、それを開け閉めして水量を調節したのかもしれない。
 続いて現れたのが長久手古戦場。秀吉と家康が激突した場所である。駅のすぐ脇に古戦場公園があるが、今は大学が集まりイオンモールがデンと控える街になっている。ここから先は丘陵地帯が連なり、緑が多くなってくる。そもそも愛知万博の際にリニモが導入されたのは、60‰の急勾配が続くために東山線の延長が難しかったことも関係している。勾配に強く、新交通システムより先端をいくリニアモーターカーが望まれたのだという。トヨタ博物館があったり大学が集まっていたりと、この辺りはアカデミックな地域である。それだけに人口はさほど多くなく、リニモの経営状態は決して良くはない。毎年累積赤字が膨らんでいるようだ。

 愛知万博の跡地は愛・地球博記念公園となってさまざまな施設が開放されているが、サブテーマが「循環型社会」という環境保全にかかわるものだったこともあって、遊園地型のテーマパークにはなっていない。丘陵地帯の自然を活かしたスポーツ施設が中心だから、乗客の大幅な増が期待できるようなところではないだろう。それだけに、私のようなお気軽なヨソ者にとっては、眺めの良い魅力あふれる風景が広がっているといえる。
 こうしていくつかの丘を巡り越えたところで、冒頭で触れた絶景駅に到着するのである。谷底には終点八草駅がある。リニモはここで折り返して、藤が丘へと戻っていく。わずか17分ほどの乗車だが、天気の良い日には快適な車窓が楽しめる鉄道である。

八草は愛知環状鉄道への乗り換え駅だ。こちらも乗り尽くしたいと思いつつ、本日中に東京に戻らなくてはならないので今回は諦めることにする。
(2016/9/25乗車)

2016年8月29日月曜日

四国乗り尽くしの旅ノート

初日 8月24日(水) 晴れ

京都上空
中央やや左下に
御所が見える 
  1. 7:25羽田発ANA531便高松空港行は昨日の台風の影響で機材が787から767-300に変更になった。787はバッテリー火災で曰わく付きの機材だが最新式に乗り損ねてガッカリ。
  2. 羽田32L からテイクオフ。大田区上空を左旋回し、羽田空港を見下ろしつつ木更津から三浦半島、伊豆半島、静岡、その後雲に覆われる。Jetstarと高速で擦れ違う。ちょっと興奮。左下に都会が見えてきた。古墳かな、違う、あれは御所だ。京都上空を飛んでいる。大阪を遠巻きにしながら瀬戸内海。淡路島、大鳴門橋が見え、四国に入る。高度が下がり、高松空港を眺めつつ、いったん通り過ぎて、左に180度旋回しタッチダウン。この席は大正解。
  3. 8:40高松空港にタッチダウン。リムジンバスで高松駅へ。途中琴電のターミナル瓦町を経由。
  4. 今回空路四国入りしたは、①新幹線代が高く、日中の移動は時間の無駄なため。②フリー切符「四国グリーン紀行」(4日間有効)が四国でしか買えないため。③宇多津三角線をすべて走破するには岡山から高知方面に抜ける必要があり、指定席指定を受けるにはフリー切符購入後でなければならないため。ということで、最初に目指すのは高知駅みどりの窓口だ。購入したもの、四国グリーン紀行。指定を受けたもの、南風(岡山→高知のグリーン席)、あしずり(高知→中村の指定席)、あしずり(中村→窪川の指定席)。それ以外は穴子めしとお茶。
  5. 四国最初の鉄道は、琴電。長尾線 屋島を眺め、白山の脇を抜けて長尾。直ぐ折り返し。瓦町下車。
  6. →高松琴平電気鉄道
  7. 瓦町始発の志度線に。海が綺麗。琴電志度は平賀源内の生まれた町だった。源内観光。凄い人だと思っていたが、案外普通に出来る人のように感じた。でも、この観光、面白かったのは、炎天下に誰もすれ違わない源内通りに旅を感じて癒やされたこと。高松築港に戻り、宇高フェリーへ。
  8. 宇高フェリーで連絡船を感じたかった。迫る島。横切る瀬戸内海定期航路。混雑した航路を巧みな操船ですり抜けていく面白さ。
  9. 宇野駅へ。当時の面影は全くなさそう。宇野線はいかにも本州の田舎の風景が広がっている。岡山から倉敷へ。時間が余っているので、おまけのツアー。
  10. 水島臨海鉄道。背の低い里山の間に工場と宅地が広がり、そこを走る工業貨物鉄道。やよいの手前から単線の高架となろが、ここからノロノロ運転。行きも帰りもだから、高架線が老朽化したからか。水島が実質的な終点。みなここで降りる。三菱自工までは二人。
  11. 三菱自工水島工場は燃費データ捏造事件のため休業中。閑散とした工業地帯を水島まで歩く。ここから岡山に戻り、東横インにチェックイン。夕食は駅の吾妻寿司で、ままかり、穴子等。
2日目 8月25日(木) 晴れ

阿波池田に虹が架かる
  1. 7:08岡山発南風1号高知行。グリーン席、進行右側は一人席。明け方に雨が降ったのか、虹が見える。茶屋町まではJR西日本。瀬戸大橋からの眺めは悪くない。宇多津の三角線はあっという間に過ぎる。高松方面の分岐と予讃線を確認しつつ、宇多津へ。多度津から土讃線が始まる。似た名前でこんがらがる。山が近づき、琴電の単線を越えて琴平到着。ここまでは電化されて、時々サンライズの終点となる。
  2. 次第に山深くなる。中央構造線が通る吉野川北側の山地をトンネルを抜けると、谷底にひっそりとスイッチバックの坪尻がある。普通列車が停車する無人駅をあっという間に通り過ぎる。シャッターを押したところピンぼけ写真が撮れた。
  3. 吉野川の手前でトンネルを抜けると、標高約180m。対岸の阿波池田は120mほど。1.4㎞ほどの距離を7㎞大回りして下っていく。このUカーブは土讃線の見どころの一つ。吉野川の上に綺麗な虹が架かっている。谷底は霧の名残、上空は晴天。感動的な風景だ。池田町を虹の円弧が飾っている。
  4. 列車は吉野川をさかのぼり、祖谷口から小歩危へと進む。ここからは車窓左側の景色が良い。後日また通るからと我慢。今日は大歩危が見たい。大歩危で停車。さあいよいよこちら側の景色が堪能できると思ったら、雪除けトンネル風の柱と柱の間から景色を断続的に眺めることに。これには若干興ざめ。列車のスピードが速く、のんびりと景色を楽しむことはできない。ここは車で訪れた方がいい。
  5. 新政からは高知市への下り坂となる。木々が生い茂り、見通しは今ひとつ。
  6. 9:39高知着。すぐにあしずり1号中村行に乗り換え。グリーン席はなく指定席へ。折角のグリーン紀行なのに残念。須崎付近で太平洋が見える。南国の海の色だが、曇りがちのため今ひとつ。窪川を越えて、前から来たかった川奥ループ。一瞬の出来事で良く確認できない。今日はあと2回通るので、写真はお預け。
  7. 土佐くろしお鉄道線内に入る。空が晴れてきて黒潮らしい海の風景が広がる。中村からは各駅停車。カラフルなラッピングが施されたSUKUMO号で終点宿毛を目指す。12:04宿毛着。
  8. 駅前で昼食。店内は満席。外は閑散としているのに。
  9. 12:50宿毛発。13:24中村発あしずり6号。南海トラフを震源とする大地震の際には津波が押し寄せるこの地域。無骨な足組がむき出しで五階建て位の高さの避難場所があちこちに設置されている。
  10. 窪川下車。予定外だが幸運にも、臨時のしまんトロッコ号宇和島行に乗ることができた。四万十川の渓流を楽しむ。
  11. →川奥ループと四万十川
  12. 宇和島着後、明日の宇和海2号(宇和島→伊予市)の指定席(またもやグリーン席なし)を確保。
  13. 宇和島オリエンタルホテルにチェックイン後、港まで散歩。そのあと、鯛めしを食べにぐるなびお薦めのかどやへいく。美味しい!

3日目 8月26日(金) 晴れ
大洲城
堰き止められて鏡のような肱川。
堰は右側奥にある。ベストポジシ
ョンまで行く時間的余裕し。  

  1. 宇和島始発の特急のなんと早いことよ。誰も乗車しない5:33発宇和島2号松山行。宇和島を出るとすぐに山登り。ミカン畑の間をうねるように登っていく。ところどころで宇和海の入り江が見え隠れする。入り組んだ地形はリアス式か。ミカンの熟する頃にもう一度訪れたいものだ。
  2. 6:03着の八幡浜で謎が解けた。高校生がどっと乗り込んでくる。松山(5:58着)まで通う生徒達だ。宇和島2号は高校生特急だった。
  3. 伊予大洲に近づく。肱川の鉄橋から大洲城が見える。肱川には堰が切ってあって、白く泡立つ川の上に城が美しく浮かんでいる様に見える。行ってみたくなった。
  4. 伊予大洲は長浜経由と内子経由の分岐点。特急はすべて内子線経由。内子線は新谷・内子間のわずか5.3㎞。それ以外は予讃線。
  5. 内子は、和ろうそくの町だったか、それとも和時計?
  6. 伊予市下車。駅前に伊予鉄道の郡中港がある。あとでまたここに来る。駅に戻って、長浜方面を通り再び伊予大洲へ。こうしないと予讃線の走破はできない。伊予長浜までは穏やかな伊予灘に沿って進む。伊予長浜からは肱川に沿って伊予大洲まで。こちらが本来の予讃線だが、内子経由の短絡線が出来てからは、ローカル線になった。
  7. 伊予大須駅での待ち時間はわずか40分。駅から大洲城まで大急ぎで往復する。往復2㎞なので計算上問題ないのだが、駅の階段上り下りも含めて、疲れた!
  8. 宇和島8号で松山まで、37分。
  9. 10:22〜16:12 伊予鉄めぐり。全線乗車! 一切観光なし、道後温泉もスルー。
  10. →松山の心くすぐる市内電車
  11. 松山16:28発、いしづち26号高松行。四国グリーン紀行を持ちながらグリーン車の設定がない特急が多すぎる。いしづちにもなし。ところが併合運転しているしおかぜ26号岡山行にはグリーン車がある。無念!
  12. 今治到着直前に瀬戸大橋、しまなみハイウェイが見えたが、距離遠く家々に阻まれ、写真撮影のベストポジションなし。駅近くのお城マンションは健在。駅そのものは高架になっていた。
  13. 宇多津三角線の予讃線側を通過、これでここは完乗!
  14. 18:54高松着。宿泊先はリーガホテルゼスト高松。リーガロイヤル系のビジネスホテル。ちょっと贅沢。街に出て讃岐うどんを食す。お疲れさま。
4日目 8月27日(土) 曇り時々雨、のち晴れ
ごめんなはり線  西分・夜須間

  1. 朝食はバイキング、久々のゆっくり出発。
  2. 8:23高松発うずしお3号徳島行にはグリーン車なし。やっぱり! 9:36徳島着、9:51発むろと1号牟岐行。天気も良くないためか、印象に薄い。
  3. 牟岐で海部行の各停に乗り換え。海部に着く頃から晴れてくる。山がないトンネルを越えて到着。徳島は地味な印象。海部駅は味も素っ気もない。ここでやってきたのが阿佐海岸鉄道のふうりん号。車内は奇妙な飾り付け。甲浦(かんのうら)は突然線路がなくなったという感じの終着駅。ここからは高知県。予算が尽きて、トンネルが掘れないから終点、みたいな。高架線路の下には、一応それらしい駅舎が建っている。ここに数名の旅行客が、室戸岬目指してバスを待つ。とにかく、公共交通機関を使って旅する人はほとんどいないのが現実。
  4. バスで室戸岬経由で奈半利まで。約2時間。
  5. 奈半利14:01発の土佐くろしお鉄道。青い空、深い色を湛えた青い海、白い波、どこまでも続く鉄路。この景色が見たかったのだ! 1時間の快適な旅。御免で下車。
  6. 御免から御免町まで徒歩1.2㎞。とさでんのLRT通過。シャッターチャンスを逃す。
  7. とさでん。専用軌道のような路面電車のような住み分け。はりまや橋のダイアモンドクロス。単線区間のタブレット。面白い路面電車だ。完乗!
  8. →「とでん」と言えば…
  9. 再び突然の雨。激しい雨。高知パレスホテルにチェックイン。夕食は、鰹のたたき三種盛り(かつお、塩鰹、鯨)。

5日目 8月28日(日) 曇り時々晴れ
金刀比羅宮奥社からの眺め
讃岐富士の向こうに瀬戸内海

  1. 高知→阿波池田。南風4号グリーン車。1時間11分間。進行右に席を取り、小歩危の景色を楽しむ。スピード早く、写真は撮れない。
  2. 池田高校確認。
  3. 吉野川下りは、徳島線の剣山4号で。グリーンなし。特段記すべきことなし。
  4. 徳島から鳴門へ。途中、レンコンばたけ?
  5. 池谷はデルタ駅。
  6. うずしお12号で高松へ。
  7. 四国最後の鉄道は、琴電琴平線。金比羅参り。讃岐富士を目指して走れ!
  8. →高松琴平電気鉄道
  9. 金刀比羅宮参り。階段は辛いが、折角来たのだからと、奥社まで行く。身体ふらふら。門前の讃岐きつねうどんが実に旨かった。どんぶりを覆い尽くす四角い油揚げ!
  10. 帰りは栗林公園下車。夕暮れの公園をすべて歩き回り見学終了。瓦町を通って、アーケード街を歩き尽くす。駅前でセルフのうどん屋に挑戦。缶ビールの注文で、自分で取らずに失敗!
  11. サンライズは21:16発車。駅の店は21:00には閉店。なんたること。入線したらすぐに乗車。出発前にシャワーも済ませてしまう。デラックスシングルは実に快適。ワインで祝杯。ほろ酔い気分でそのまま就寝。

6日目 8月29日(月) 晴れ? 

  1. 7:08東京着。四国全線走破の旅が終わった。総延長1113.1㎞を5日間でまわったことになる。達成感! 
  2. ただし鉄道の定義にもよるが、0.06%未乗路線がある。高松市の八栗山(五剣山)にある八栗ケーブル684mである。これは後日行きたいものだ。厳密にはこれを以て四国制覇とすべきだろうけれど、二度達成感を味わおうと思う次第。
  3. 祖谷温泉の露天風呂に降りるケーブルカーはどうする? これは、旅館内のエレベーター扱いとして記録からは除外できるかもしれない(乗りたいけれど)。長野県小諸市の菱野温泉常磐館には「登山電車」があり、こちらは途中で登りと下りが交換する本格的なケーブルカー仕様。でも、法規上はエレベーターだという。実際、ホールのドアと車両(?)のドアが連動して開閉し、乗った人は上下ボタンを押して移動する。まさに構造はエレベーターそのものだ。祖谷温泉のものは、一両が上下する、まさに斜めになったエレベーター。しかし、姿形は見事なまでにケーブルカーそのもの。番外として、乗らねばなるまい。
(2016/8/24〜8/29乗車)